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2017/03/11

新築

3.11東日本大震災

#日記

こんにちは、今日は6年前の3月11日東日本大震災の日、忘れてはならない日ですね

2011年の地震は関東でも被害が多く、香取市も被災地になりました。でもその日の夜は停電で余震が怖く、車でTVを涙ながらに津波の恐ろしさ観ていました・・

以前にも書いていますが、息子と2人で陸前高田市のボランティアに参加した時の画像です

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170311-120216 (4).JPG奇跡の一本松です。この時はオブジェではなく本当に残っていた松です

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右側の子が実は息子です。荒れていたころで、私がやっと誘い連れ出しました。今では息子もつかず離れずですが一人前に働いてくれています

あの時の事・・息子とはいまだに語っていません

画像はボランティアツアーでバスから撮ったものです

あの頃のことが本当に思い出されます

今日14時46分、TVを見ながら黙祷しました

170311(7).jpg今の陸前高田市の一本松、引用した画像ですがオブジェとは思えない、変わらない形です。徐々に復興されているとニュースでしか知ることができていませんが、いつかもう一度訪れたいと思っています

Yahooニュースを転載します(記事は時と共に消えてしまうので)

東日本大震災の発生当時、市内の高校2年生だった。津波で曽祖母みわのさん(93)、祖父秀雄さん(74)、祖母芳子さん(72)、父芳弘さん(43)、母美江子さん(41)、妹の美穂さん(15)と美輝さん(6)=年齢はいずれも当時=が帰らぬ人となった。

 家族で残ったのは一人きり。杉ノ下地区の自宅も流され、親戚の家に身を寄せた。心配する周囲から「7人の分まで頑張って生きて」と励まされた。

 高校3年の時、面識のない人から手紙が届いた。「人生は1人分。あなたの人生を生きればいいのよ」。7人分。それが重荷になると気遣ってくれた。「ふっと心が軽くなった」

 大学に進み仙台市で暮らすうち、古里で働く思いを強めた。親戚は頼りになり、田んぼを委託した農家のおじさんは作ったコメを届けてくれた。自宅跡の草むしりをしてくれるボランティアに「申し訳ない」と思うことも。支えてくれる人たちが古里にいた。

 「社会人になったら人に任せっきりにできない」。ひたすら勉強し、管理栄養士の国家試験に一発で合格した。「震災遺児として授業料も生活費も支援をもらう私に、試験に受からない選択肢はなかった」と多くの人に感謝する。

 祖母と父、美穂さん以外、見つかっていない。でも、あの頃の記憶のまま、自分の中で生きている。

 「ただいま」。自宅跡は海に向かって風が強く吹く。「当たり前のことが、当たり前ではない。毎日を大切に生きていきます」

香取市注文住宅ウィズホーム
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