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2021/12/12

新築

名車!! 個性が光るレトロカー☆ダイハツミゼットと遭遇! でも私の好きな車は日産フィガロ^▽^

#趣味

こんにちは

かおりんです

mizetto.jpg

 

先日川沿いの道を走っていたら、なんと

       『ダイハツミゼット』

               が走っているではありませんか 

慌てて携帯で写真を撮ろうと思いましたが「いけない!いけない!」運転中

諦めましたが、あれからなんだか「かわいかったなぁ。。。」なんて思いだしたりして。。。

実は私、そんなに詳しくはありませんが、車が大好きなんです

ということで、ダイハツミゼットを知らないみなさんへちょっとご紹介

田んぼミゼット.jpg

ダイハツ ミゼット

ミゼットは戦後の高度経済成長期、1957年10月から1972年1月までの間、ダイハツ工業から

販売されていた軽自動車規格のオート三輪トラック。

ミゼットとは英語で「超小型のもの」を意味します。

誕生のいきさつは、普通規格のオート三輪需要に翳りが見え始めたことです。

1954年になると、トヨタが四輪トラックを発売開始します。ダイハツをはじめ、

多くのメーカーは四輪トラックへの移行を余儀なくされます。

一方で自転車やオートバイで事業展開する零細企業や個人事業主も多く、安価で

小回りの利く小型のオート三輪の需要には根強いものがありました。

ダイハツは四輪自動車の開発を進めながらも、軽オート三輪のミゼットを発表します。

自社一貫生産による低コストの実現、そして人気タレントを起用したテレビコマーシャルが

功を奏し、ミゼットは爆発的なヒット商品となりました。

他社も追随し、1960年くらいまで軽オート三輪のブームが続きます。

その後、軽オート三輪車が市場から姿を消していく中、ミゼットだけは根強いファンに

支えられ、1972年まで販売されました。

初期のミゼットはオートバイのようなバーハンドルで1人乗り。

DK型が1959年まで、DS型には2人乗りタイプもあり、1962年まで活躍します。

丸ハンドルのMP型が登場するのは1959年。北米向けに先行発売された後、

国内デビューを飾ります。

タイでは「トゥクトゥク」と呼ばれるタクシー業界をけん引する活躍をしました。

しかしながら時代の主流は四輪、ダイハツも四輪のハイゼットへの移行・統合を図り、

1972年1月31日をもって、ミゼットの生産を終了しました。

(カーナリズム記事引用)

でも私が昔から乗りたいと思っていた車は、

           『 日産フィガロ 』

figaro.jpg

見た目のデザインも内装もとっても可愛いいオシャレな車

そう、TVドラマ「相棒」で右京さんが乗っている車です

フィガロ黒.jpg

 

最近では、「バナナマンのせっかくグルメ」で日村さんが取材に行くときに

乗っている黄色のかわいい車です

フィガロ 黄色。。.jpg


日産 FIGARO(フィガロ)

1987年に発売したBe-1、1989年に発売したPAO(パオ)およびS-Cargo(エスカルゴ)という

パイクカー・シリーズをヒット作に昇華させた日産自動車は、市場の要望に即して4作目となる

新パイクカーを鋭意企画していく。

商品テーマは"満足の新しいカタチ"の創出。既存の枠にとらわれない車両デザインを心がけながら、

これからのライフスタイルにふさわしいクルマの具現化を目指した。

使用するプラットフォームはBe-1やPAOと同じくK10型マーチをベースにした。

ただし、そのスタイリングは従来と路線を大きく変えた。

基本フォルムは2ドアクーペデザインで構成し、そのうえでルーフとリアウィンドウが一体で開いて

後部の格納トランクに収納されるユニークなオープントップ機構を組み込む。

オープン時に残るのはサイド部分やフロントのウィンドシールドのみで、横方向からのプライバシーを

守りながら気軽にオープン走行が楽しめるようにアレンジした。また、リアウィンドウには視認性と

耐久性を考慮して熱線入りガラスを採用。さらに、リアセクション下部にはトランクルームも用意する。

ルックス自体はレトロ調を基本としながら都会の風景にお洒落になじむ造形に仕立て、同時にフロント

エプロンやフェンダーの部材に熱可塑性樹脂パネルを、外板にスーパーファインコーティング(フッ素樹脂塗装)を導入した。

ルーフとリアウィンドウが一体で開いて後部の格納トランクに収納される。

内包するインテリアは、前席重視(乗車定員は4名)のパーソナルな空間にふさわしい心地よいデザインと装備・素材で構成する。

インパネは穏やかな曲線を基調として優美さを表現。丸形のメーターや上品な装飾を加えたステアリング、随所に配したメッキパーツ、

専用の本革シートなどもアクセサリーを付けたときのようなテイストを醸し出した。また、内装色には明るいカラーリングを採用。

インパネやピラートリム類には柔らかい質感のソフトフィール塗装材を施した。

乗車定員は4名だが、メインは前席。心地よいデザインと装備に囲まれたパーソナルな空間が広がる。

搭載エンジンにはパイクカー初の過給器付きユニット、MA10ET型987cc直列4気筒OHCターボ(76ps/10.8kg・m)を採用する。

組み合わせるトランスミッションは3速ATのみの設定で、駆動方式はFF。

懸架機構には専用セッティングの前マクファーソンストラット/後4リンクを導入し、シューズには165/70R12タイヤ

+専用デザインホイールを、制動機構には前ベンチレーテッドディスク/後リーディングトレーリングを装備した。

4作目のパイクカーは、まず1989年開催の第28回東京モーターショーに参考出品され、1991年2月に市販に移される。

車名はモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』に登場する、機知に富んだ主人公の名前にちなんで「FIGARO(フィガロ)」と名乗った。

型式はFK10で、ボディサイズは全長3740×全幅1630×全高1365mm/ホイールベース2300mmに設定。

車体色はすべてツートンカラーで仕立て、上部をホワイト、下部をエメラルド/ペールアクア/ラピスグレイ/トパーズミストという4タイプで彩った。

車両価格は187万円とし、生産台数は限定2万台。同年8月末まで3回に分けて抽選するという販売方法をとったため、

Be-1のような大きな混乱は起こらなかった。また、製造については従来に引き続き高田工業が専用ラインで行った。

"東京ヌーベルバーグ"のキャッチを冠して発売されたフィガロは、従来とはちょっと異なる宣伝手法を展開した。

同キャッチをコンセプトに据えながらフィガロをフィーチャーした3部作の短編映画『フィガロストーリー』を製作し、

1991年4月から全国主要都市の映画館で上映したのだ。監督・脚本を務めたのは、アレハンドロ・アグレスティ、林海象、

クレール・ドニという気鋭の人物のたち。バブル景気の最終盤ならではの、豪華なプロモーション活動だった。

(citrus 大貫直次郎さん記事引用)

今でも人気があるってすごいですよね

やっぱり個性があるからなのかなぁ。。。

次はどんな名車に出会えるかなぁ。。。

楽しみ楽しみ

香取市注文住宅ウィズホーム
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